しんちゃお!KATSUです。
実は私は世界の歴史ストーリーを学ぶことが好きで、
学生時代は世界各国の歴史的名所や古代遺跡によく旅行で訪れました。
今日はベトナムのおすすめ歴史スポットとその場所にまつわるヒストリアを
少しご紹介したいと思います。
とはいえ歴史専門家ではなく、ただの歴史好きの旅行会社のスタッフですので、
もしかしたら間違えている事もあるかもしれませんが、
そのあたりは温かい目で見守ってもらえると幸いです。
三国志にも登場!南蛮の民は、古代ベトナム人!?
ベトナムの歴史といえば、どうしてもベトナム戦争といった近現代史を連想しがちですが、
中国の近隣に位置するベトナムの歴史は古く、紀元前には南越国として歴史書にも残されています。
ちなみに南越国はベトナム語表記で、Nam Việt。
どことなく今のViệt Namを連想させますね。
そんな古代ベトナムの様子は、あの有名な三国志演技にも登場しています。
例えばかの諸葛孔明の南蛮遠征に出てくる、南中には中国と国境を接する
ベトナムやミャンマーの北部の地域が含まれているという説があります。
南中遠征に出てくる「烏戈国」は、
ベトナム北部~中国南部に住んでいるチワン族がモデルになっており
現在も、ベトナムとも中国とも異なった独自の文化を形成しています。
色鮮やかな民族衣装をまとうチワン族
中国と国境と国境を接するベトナム北部には、
まだ日本人には知名度が低い絶景スポット「バンゾックの滝」や「ハザン」が待っています。
個人的に緑広がる景勝地ハザンの絶景は、ベトナムで見た中で最も神秘的な風景でした。
ベトナム最後の秘境ハザン渓谷
中国との国境に接する美しいバンゾックの滝
遼嶺たる山々、切り立つ千尋の渓谷、緩やかに流れる大河と点在する少数民族の村々。
まさにベトナム最後の秘境といえる場所をバイクで巡った旅は今も心の思い出に残っています。
この地をその昔、孔明たちが遠征した伝説考えるとロマンがありますね。
実はベトナム人の間では、諸葛孔明よりも郷土の英雄「孟獲」が人気だったりします!
このあたりからもベトナムの大国に対するレジスタンス精神が見て取れますね。
ベトナム最初の独立王朝「丁朝」と始まりの都ホアルー
さて時間は少し流れて、ベトナム最初の独立王朝「丁朝」について紹介します。
独立王朝という表現をしたのは、それまでのベトナムは中華王朝の支配下にあり、
「十二使君の乱」という覇権争いを勝ち抜き、独立を果たしたのが「丁朝」だからです。
丁朝は今から約1000年前の970年、中華王朝から独立を果たし国家の統一を行ったことで、
東南アジア唯一の小中華国家としての道を歩み始めました。
その丁朝がハノイから、南に140km離れたチャンアンという場所に築いた
ベトナム最初の王都がホアルー(花閭)です。
世界遺産にも登録されている風光明媚な景勝地チャンアン
周りを山々の断崖で囲まれた河口地域のチャンアンは、敵から守るに易く都を築くエリアとして最適だったようです。
チャンアンは漢字で「長安」と書きます。
長く安寧が続くようにという祈りをこめたその都の名は、やはり中華文明の影響を感じる事が出来ます。
実際、ホアルーは当時の唐の都であった長安を模した封建国家都市であったようです。
山々に囲まれた美しい自然をめぐる世界遺産チャンアン
今ではこのチャンアンは「陸のハロン湾」と称されるほど、風光明媚な景色を誇ります。
美しい自然に囲まれた世界遺産チャンアンを手漕ぎボートで下る川下りは、
ハノイの人気観光スポットとして、多くの旅行者でにぎわっています。
この山々と河口に囲まれた天然の城塞チャンアンに守られた場所に、ベトナム王朝始まりの都ホアルーが築かれました。
豊かな自然と水に恵まれたホアルーは、
地政学的にも風水的にもよい土地だったのでしょう。
豊かな山々に溶け込むように作られた白亜の楼閣が非常に美しいです。
絵葉書の一枚のような風景に、古代への憧憬が心に浮かびます。
この門をくぐると、かつての王都ホアルーに続いていきます。
石灰岩で造られた中華様式の建築には、中華王朝の影響が色濃く残ります。
初代皇帝廟と華やかな宮廷文化
強固な城壁と外敵を守るための外堀にホアルーは囲まれています。
美しい自然と一体化した城内は意外に広く、当時の丁朝の力を知ることが出来ます。
整然と整ったシンメトリーな路の配置は、
古の長安に模した五目状の街並みを思わせます。
まずはじめに見所が、初代皇帝ディン・ティエン・ホアン廟です。
苔の蒸した門が時代の流れと風情を感じさせてくれます。
こちらの廟に眠るのが、初代皇帝ディン・ティエン・ホアンです。
ベトナム版のファースト・エンペラー、つまり始皇帝ですね。
ベトナム北部に群雄割拠していた12人の諸侯との覇権争いを制し、
丁朝の初代皇帝になったディン・ティエン・ホアン。
あまりの強さで負け知らずの彼を、民衆は「万勝王」と呼び称えたそうです。
ホアルー内の壁ににはディン・ティエン・ホアンの、
十二使君の平定の戦いから丁朝建国、そして帝位につく歴史が描かれています。
中華様式の祠廟。
立ち込めるお香の煙と黄色い花が、一際異国情緒を感じさせます。
「花閭是漢長安」と書かれた柱。
花閭はホアルーを表します。
花は華、閭は門を表すため、ホアルーとは中華の門の意味だったのでしょうか。
漢という言葉が何を表すか不明なのですが、この柱にかかれた言葉は、
ホアルーはチャンアンの都と書かれているんですかね?
ディン・ティエン・ホアンは、ベトナム地方豪族と結びつきを強くするため、
各豪族から数多くの皇后を迎え入れ、それが起因して宮廷内乱の元となり、
息子によって、毒殺されてしまい、非業の死をどげます。
宮廷内乱、跡継ぎ争い、謀略、毒殺・・・。
このあたりのドロドロとした権謀術数も、なんとなく中華王朝っぽいですね。
第二代皇帝廟と愛憎渦巻く人間ドラマ
ホアルーには、第二代皇帝レー・ダイ・ハンの廟もあり、こちらもあわせて必見です。
初代皇帝ディン・ティン・ホアンは骨肉相食む後継者争いによって
息子と一緒に暗殺されてしまいます。
唯一残った6歳の幼帝をサポートするため、軍事将軍であったレー・ダイ・ハンは摂政となりますが、自らの権力をより確固たるものにするため、
なんと初代皇帝ディン・ティン・ホアンの正妻を、自らの皇后とすることで皇帝の地位につきました。
そういった背景もあり、皇妃の像はこのレー・ダイ・ハンの廟内に祀られているそうです。
後世の人の配慮もあり、皇妃の顔はディン・ティエン・ホアン廟に向いてるそうですが、
その本心を察すると、果たして・・・。と思ってしまいますね。
あまりにも複雑でドロドロした人間関係と、権謀術数がうごめく権力争いに、もはや何が本当か信じられなくなります。
ただでさえ勝者が歴史の物語を書くといわれているベトナムですから、
実は誰が暗殺を企てていたのかとか、どういう歴史の裏模様があったのかとか、ついつい史家が筆に起こす事さえはばかった行間の物語を想像してしまいますね。
夕暮れのホアルーの田園風景。あまりの穏やかな時間の流れ方に、当時の宮廷模様の足音が聞こえてきそうです。
心地よい風の音と虫の音に、ついつい「夏草や 兵どもが 夢の後」と詠んでみたくなります。
レー・ダイ・ハンはその後、丁朝を滅ぼし、黎朝を打ち立てます。
黎朝皇帝と成ったレー・ダイ・ハンは強く、宋やチャンパ王国などの
近隣諸国との戦争に勝ち抜き、その版図を拓いたそうです。
古都ホアルーを歩けば、1000年前に華やかな宮廷ヒスとリアの跡と、激動の歴史で生きた人々の身を焦がすほどの激情を肌で感じる事が出来るのではないでしょうか。
そしてベトナムの歴史舞台はハノイへ
黎朝も、丁朝と同様にレー・ダイ・ハン死後、後継者争いが起因して国力が衰えます。
またですか。
レー・ダイ・ハン死後のわずか5年後の1010年に、次代の李朝によって、今の首都ハノイ(旧名:タンロン)に遷都したことで、ホアルーはその華やかで激動の歴史の幕を閉じました。
約42年という短い期間ですが、法整備や強力な軍事でベトナム国家の礎を築き上げた
丁朝と黎朝の都ホアルーは、ベトナムの歴史を語る上で欠かせない王都です。
その後、ハノイに都を築いた李朝は1225年までの200年にわたる、
ベトナム史上最初の長期政権の王都として栄華の歴史を刻みます。
今もベトナムの首都であるハノイの歴史はここから始まりました。
ちなみにタンロンは、漢字で昇龍と書きます。
すごく中二病をくすぐるじゃないか。
ハノイ中心部には、その李朝が築いたタンロン城という世界遺産もあります。
ホーチミン廟から程近い位置にありますので、ぜひハノイを訪れた際は、
世界遺産タンロン城にも訪れてみてはいかがでしょうか?
さてベトナム最初の王朝ホアルーの物語はこのあたりで終わりとします。
中国への憧憬を感じさせる美しい中華建築と壮麗な装飾は、百聞は一見にしかずで、
実際に見てもらえるとそ良さを感じてもらえると思います。
ベトナム最初の王朝である丁朝と黎朝の栄光ある刹那に煌く歴史と、人々の欲望が奏でる宮廷ヒストリアを知ってもらえることで、少しでもホアルーに興味を持ってもらえると幸いです。
ぜひ遥かなる太古の風とともに、王朝物語の香りが残る古都の散策に出かけてください。
ハノイからも日帰りで訪れることが出来ますので、
風光明媚な世界遺産チャンアンとあわせて、ぜひ観光してみてください。
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【ハノイ発】古都ホアルー&世界遺産チャンアン観光
大人一人:105USD
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